東海自然歩道Day71-72
令和8年5月4日(月)明智駅→岩村駅
令和8年5月5日(火)岩村駅→深萱→武並駅
本稿ではGWの歩行4日間のうち、後半2日間について記載。
令和8年5月4日(月)
この日は、明智駅→安住寺→飯高観音→岩村駅という行程で歩いた。
6時半過ぎに岩村町のゲストハウスを出発。

岩村町の重要伝統的建造物群保存地区(じゅうでんけん)
岩村7:14→明智7:34(明知鉄道 明智行)
7:34、明智駅下車。
明智駅前の道を一直線に明智八王子神社へ進んだ。
7:51、八王子神社境内の昨日離脱した地点に到達、歩行開始。
柱から落ちた指導標があり「飯高観音15.2km、安住寺2.4km、颪7.8km」等と書いてある。
「飯高観音15.2km」は誤記の模様。
《管理者不明の勝手橋》
県道33号線の先、竹林の脇を進み、指導標に従って左折すると明智川に至る。
明智川には歩行者用の立派な橋が掛かっており、「この橋の設置者又は管理者の方を探しています」との貼り紙あり。「この橋の設置者又は管理者の方、もしくは、設置者又は管理者をご存知の方は、下記まで連絡をお願いします。岐阜県恵那土木事務所施設管理課」というもの。
《誤って中学校侵入》
勝手橋を渡らせていただいた後、石段を数段登り、自然な流れで明智中学校のグラウンドに入ってしまった。
グラウンドの外を見ると川沿いにTSHの指導標が見えた。
勝手橋を渡った後、石段を登らず(明智中学校の敷地に入らず)、すぐに右へ曲がり、明智川沿いにグラウンドの外を歩くのが正解だった模様。
間違えて侵入するTSHハイカーは多いはず。明智中学校の生徒や職員も気付いているのではないだろうか。
グラウンドから出て、明智川沿いに進行。
明智川に沿って遡上。
8:24、右に水田を見ながら進行。田植えの直前で鏡のように水が湛えられていた。シラサギとアオサギが獲物を狙っていた。
《杉平(明智町杉野)》
8:28、恵那市自主運行バス「杉平」バス停。
周囲は水田。
安住寺を目指して舗装路を登った。
周囲は農村。棚田あり。
この辺りも世界ラリー選手権のコースになっている模様。
《安住寺》
舗装路に出て少し登り、「久昌山 安住寺」に到達。
きゅうしょうざん、あんじゅうじ。
臨済宗妙心寺派。遠山景行(武田勢に敗れて自害)の墓所あり。
石垣の上に寺院が建っており、山城のようである。
よく手入れされた庭園が美しい。
遠山景行(とおやまかげゆき)は戦国武将、明知遠山氏。明知城主。
8:58、行動再開、安住寺を発った。
舗装路を下り、トレイルの入口を目指した。
9:01、分岐に到達。指導標(山田1.5km25分、安住寺0.3km)あり。
ここに書いてある「山田」は「山野田」の誤りだと思われる。その根拠は、後に到着する「姥石石仏群」(=山野田)では指導標に「杉平安住寺1.8km」と書かれているからである。
ここから先、トレイル(草むした未舗装路)を北上。
9:14、前方に舗装路が見えてきて、まもなく合流。
9:19、傍止松(遠山財産区有林)。
9:22、「田沢ダム」(右折)への分岐となるT字路を直進(北上)。住所上は恵那市山岡町田沢。
《山野田と山田について》
「山野田」は山岡町田沢山野田(やまおかちょうたざわやまのだ)。
TSHの指導標で登場する「山野田」は「姥石石仏群」と読み替えて問題ないと思われる。
山野田の先に山田がある。
山岡町馬場山田(ばばやまだ)は、飯高観音や花白温泉(TSH外)があるところであり、山野田(田沢)よりも北に位置する。
9:29、石灰帯を通過。
《姥石石仏群》
9:39、姥石石仏群に到達(N35.33643°, E137.40027°)。
恵那市山岡町田沢。
「行者像」あり。
「燈篭」なる目的地が初登場。
「姥石石仏郡」と表記が見受けられる。誤字なのか「石仏がある郡(邑)」(姥石石仏郷という意味)なのかは不明。
姥石石仏群から先は舗装路を道なり(明知鉄道 山岡駅方向)に行ってはならない。すぐに右への分岐に入ることが肝要。
未舗装路を進行。左に田園風景が広がっていた。
9:55、恵南ささゆり街道に出て舗装路を進行。
《恵南(けいなん)とは》
恵那市南部(明智、岩村、山岡、串原、上矢作)のこと。広義では中津川市の一部(阿木)を含む。
恵北(けいほく)という言葉もあり、これは中津川の方を指す。
9:57、「恵南ささゆり街道」から左に小道が分岐。この分岐を左に入るのがTSH正規ルート。
《ここが燈篭集落だった》
10:29、恵南ささゆり街道に再び合流する地点。
指導標(兼平1.3km20分、山野田0.8km)あり。
姥石石仏群に「燈篭0.8km」とあったので、山野田の正体は姥石石仏群のあたり、燈篭の正体はこの辺りと思われる。
民家の前で家人女性と会話。
「燈篭はあそこに見える」と言われた。確かに石灯籠が見えた。
山野田と燈篭の地籍は同じ山岡町田沢。
《燈篭》
舗装路「恵南ささゆり街道」を進行。
10:29、「土石流危険渓流 庄内川水系 奈免入川」を渡った。
「奈免入」(なめり)は山岡町田沢の小字。
「林道奈免入線」の起点の先に集落名の由来である石灯籠(N35.34102°, E137.40639°)あり。
10:39、「ダイオンジファーム」前を通過。いちごの栽培ハウスあり。「大音寺」は山岡町田沢の小字。
水田地帯の直線道路を進行。
10:47、坂の頂上。有限会社銭坂畜産の入口前を通過。家畜伝染病予防のため、むやみに近付いてはならない。
この会社の表示は翌日、夕立山でも見た。
坂を下り、交差点に到達。「飯高観音は左折」等の案内があるが、これはTSHハイカー用ではなく車の運転者向け。ここでは道なりに東進するのが正しい。
11:00、行動再開。兼平橋(かねだいらはし、兼平川)を渡った。
兼平川は兼平ダムから流れてくる川である。
舗装路を継続して直進(東進)。
11:02、右に兼平川を見ながら東進。岐阜県警の車両とすれ違った。
赤色灯を点けて歩行者との安全な間隔を保って側方をゆっくり通過。ありがたい。
岐阜県警の模範運転がTSHで光る。
11:08、左上への分岐に入った。
飯高観音に辿り着く前に、軽く一山越える必要があるが、40mくらいしか登る必要はない。
YAMAP地図上は道路がある感じになっていたが、倒木が入口を塞いでおり、前途多難な感じであった。
飯高観音の境内が見えてきた。
また、その後方に「ラーメン」の幟旗(神奈川県の丹沢(大山)の「ルーメソ」と同じ)が見えた。
食事ができそう。期待が高まった。
《飯高観音》
11:31、飯高観音に到達。
臨済宗 妙心寺派 飯高山 萬勝禅寺。
飯高山 千手観世音菩薩 萬勝寺(まんしょうじ)。
恵那市山岡町馬場山田飯高(小字が飯高)。
境内を散策。
大きな白い犬が飼育されていた。
「グレート・ピレニーズ」という犬種だそうだ。
「かんのん茶屋」でラーメンをいただいた。
《山田・山野田問題が再燃》
大休憩の後に行動再開。
飯高観音に隣接して古いTSH案内板あり。
「南西へ行けば兼平・山田を経て明智町です」と書いてある。飯高観音の所在地が「馬場山田」なので、案内板にいう「山田」は「山野田」のことなのだろうか。謎は深まる。
兼平は馬場山田の小字。
舗装路を北上。岩村の街を目指して下った。
車両の通行量は少なかった。
12:32、「恵南ささゆり街道」に合流した。
本日のゴール岩村駅まで2.6km、頑張るぞ。
「恵南ささゆり街道」を北上した。
12:51、右上の田んぼに、「センチピードグラスを用いた畦畔管理の負担軽減モデルほ場」と表示あり。
見慣れない横文字である。「畦畔」は「けいはん」と読む。
《センチピードグラス(別名:ムカデ芝)》
centipedegrass
ほふく茎で増える。強いアレロパシー(Allelopathy 他の植物や微生物に対する他感作用)により雑草の侵入を抑えるのだそうだ。
12:54、「林道恵南線」との交点を通過。
13:00、知多橋(ちたはし、一色川)を渡り、すぐに左折した。
シェルパ斉藤氏著書に、天瀑山近くの寺院で尼僧と会話したエピソードがある。一色川上流域と思われたが、地図上に卍は見当たらず。TSH沿線には柏尾、長尾、南志賀町など廃寺が多いが、ここもそうなのか。もしかしたら飯高観音か。
13:06、水田地帯を進行。
13:17、指導標(岩村駅1.3kmほか)あり。
まもなく前方に明知鉄道の線路が見えてきて、線路と並走を開始。
13:24、「石室千体仏」の説明板。
13:31、株式会社岩村営農の前を通過。
男性と会話。
田植え真っ盛りで、応援要員としてアルバイトに来ているとのこと。
国道257号線をくぐるトンネルを通過。
明知鉄道の踏切(明知街道踏切)を渡った。
13:43、一色一号橋(いっしきいちごうきょう、一色川)の手前で右折。
領家橋(一色川)で本日の歩行を終了。
宿泊先は多治見市のビジネスホテル。
岩村から恵那経由で多治見に向かった。
Day72、令和8年5月5日(火)
この日は、岩村駅→三郷町野井→槇ヶ根→深萱→武並駅という行程。
早朝、多治見の宿を出発。
恵那経由で岩村に向かった。
7:13、岩村駅で降車、歩行開始。
昨日の終了地点「領家橋」から先はしばらく「岩村電気軌道」(路面電車)の廃線跡を進行する。
東海自然歩道で鉄道廃線跡に出くわすのはこれで6度目だと思う。世附、田口、三河広瀬、定光寺、下芥見、岩村。
《岩村電気軌道》
岩村出身の実業家が明治34(1906)に開業(大井(現恵那駅)〜岩村)。
昭和9(1934)、国鉄明知線開通したが路線が重複。1935年、岩村電気軌道は廃線となった。
TSHは西に寄りながら北上していく。
国道257号線を「岩村地下道」でくぐり通過。指導標(希菴塚1.25km)あり。
岩村町山上(やまがみ)の一本道(廃線跡)を北上。
7:37、十字路を左折。これで廃線跡歩きは終わり。
7:39、「大名街道」の説明板あり。岩村城主が参勤交代で江戸への往復で使った街道。大名行列が往来するくらいなのでアップダウンは緩かろうと楽観視(あながち間違ってはいなかった)。
未舗装路に入った。草が刈られており、地元の方々が整備していることが伺えた。
7:42、「経塚」の案内板。
一山越えた感じがして、石灰帯を通過。
豚熱(CFS: Classical Swine Fever)を里に持ち出さないための措置である。
ニュースによれば、静岡県富士宮市の養豚場で「豚熱の患畜」が5/4発見され、3,700頭に対する防疫措置(殺処分、埋却処分)がなされた。
7:46、放置された廃車体。調べたところ、「スバル ドミンゴ(初代)」と判明。
開放感のある水田地帯を進行。
7:56、「希菴橋」(飯羽間川、いいばまがわ、木曽川水系、1級)を渡った。
「根ノ上」(ねのうえ)集落を進行。
《希菴塚》
菴と庵で表記が揺れているが、菴が多数派の模様。
田植え直前の長閑な水田地帯を西進。
マンホールの蓋にはまだ「いわむら」と書いてある。
《高札場》
8:13、高札場(こうさつば)に到達。
少し高くなった場所に「定」や「岩村藩領民御法度」が掲示されていた。
「これが高札場か」といった感じのお手本のような高札場である。
高札の前には「井戸」あり。
高札場の裏には「社叢」といった感じの森が茂っていた。社殿は見えないものの、地図上は「神明神社」と記されている。
北西へ向かって進行。
登り始めて、民家が途絶えて、森の中の未舗装路となった。
8:33、真新しい指導標(上平0.5km、希菴塚1.3km)あり。「共同墓地入り口」の表示あり。
ローマ字併記によれば「上平」は「うえだいら」と読む。
《岩村町飯羽間上平(うえだいら)》
まもなく明るく開けた場所に出た。
ここが上平。
登り基調の舗装路を「夕立山」山麓を目指して進行。
8:57、お地蔵様あり。「奥津城苑」と彫られた石柱あり。送電線(中部電力 愛岐幹線)が山々の間を走っている。
送電線に沿って未舗装路を進行。
9:18、「石佛」の説明(石仏を拝むにはコースアウトして崖を登る必要あり)。
9:22、大昔の道標。左はどちら方向、右はどちら方向とはっきり彫られているものだが、教養が足らず読めず。
この辺りから豚舎のにおいが漂い始めた。
《夕立山休憩所》
9:29、分岐及び指導標あり。
片道0.3kmのピストン計600mは辛いが、元気を振り絞って向かうこととし、進んだらすぐに目の前に東屋が見えてきた。
指導標が誤っており、
正しくは「夕立山休憩所0.03km」だった模様。
「夕立山休憩所」の入口には大規模な「石灰帯」あり。豚舎が近いからか、特に大量の消石灰が敷かれており、雪山歩きのようであった。
夕立山休憩所で大休憩。「ノート」を記入。
東屋の天井にスズメバチの巣(使用済み)あり。安全に除去できそうだったので持ち帰りたかったが、無駄に荷物が増えるので断念。
9:44、行動再開。
9:48、「岐阜県畜産研究所 酪農研究部」の入口。
夕立山ピーク(727.7m)は岐阜県畜産研究所の敷地内にあり、基本的に踏むことはできない。
左上に牧場があるようだが、高くなっており中を窺うことはできず。
未舗装路を下った。
三郷町野井(右)と山岡町久保原(左)の境界線上を進行。
《お茶屋場》
10:18、お茶屋場に到達。
朝早く岩村城を出発後、大名街道上一つめ休憩所。殿様はここで駕籠を降り、お茶をのみながらしばしの休息をとったそうだ。
えっ?岩村城下からここまで無休憩だったの?
大名街道を進行。歩きやすい。
10:37、小ヶ沢池(こがさわいけ)の南東に到達。左前に池が見えた。
10:40、小ヶ沢池の北東に到達。小ヶ沢池はダムのような構造となっている。
沢に沿ってトレイルを下った。
沢の水は恐らく、小ヶ沢池から流れ出る水であろう。
10:53、分岐に到達。TSHは右へ進行。分岐には大昔の道標あり。「右 大井」「左 たけおり」と彫られている。
ここでTSHは大名街道から離れる。大名街道は左に行き、竹折(四ツ谷)で中山道に合流する。
四ツ谷は約4時間後に訪問することとなる。
《恵那市三郷町野井》
10:58、里に降り立った。
《野井川》
11:04、野井川を渡った。
野井川は野井大橋が越える川である。
野井川は流れ進むと「土岐川」になり、愛知県内に入ると「庄内川」と呼び名が変わる。
名古屋を流れる大河、庄内川の源流が野井にある。
炎天下の車道を進行。
TSHの分岐に近いコース外に自動販売機が見えたので、立ち寄ることとした。岩村駅を出発してから初の自動販売機である。
11:18、十二屋(とうふや)の自動販売機前で大休憩。
行動再開。
田植えをまさにしようという水田地帯を眼下に望んだ。
野井大橋も見えた。
11:27、威代寺(いだいじ)に到達。東海自然歩道の公衆トイレあり。
岐阜県道66号(多治見恵那線)を横断。
《恵那市三郷町野井の集落》
11:35、野井武並神社への分岐で右折し、TSHから少し離れることとした。
「野井武並神社」を参拝。
《岐阜県恵那郡三郷村》
現在の恵那市三郷町。昭和29(1954)年、周辺の町村と合併して恵那市になった。
野井、佐々良木(さざらぎ)、椋実(むくのみ)の3つから成るので三郷という。
集落を進行。
11:57、十字路を左折。
舗装路を登り、標高を徐々に上げた。
12:16、前方に険しい雪山(後日、御嶽山と判明)が見える地点を通過。
12:22、左にゴルフコースが出現。右の遠方に恵那山が見えた。
ゴルフコースをくぐるトンネルを通過し、西進。
12:39、いちご農園入口のある十字路を左折。
舗装路を道なりに進行。
槙ヶ根第一溜池の北側を反時計回りに半周した後、国道19号線まで北上した。
13:22、国道19号線の歩道橋(槙ヶ根)に到達。歩道橋の上で座って休憩。レトルトご飯に注水し、60分後に食事を摂ることとした。
歩道橋には「東海自然歩道橋」と書かれている。
13:47、中央自動車道をくぐった。めざせ中山道。
中央道をくぐると指導標あり。
次のランドマークは「四ツ谷」と表示されていた。
舗装路を登った。
後ろを振り返ると恵那山が見えた。
13:59、進行右側、太陽光発電設備。恵那山がよく見えた。この辺りは中央西線の「新槇ヶ根トンネル」の直上に当たる。
《中部北陸自然歩道合流点》
14:00、TSHが中山道に交わるT字路に到達。
TSHは左折する。ちなみに右折すると中部北陸自然歩道、恵那駅方向である。
ここから先、TSHは御嵩駅まで中山道を進む(ただし、3箇所中山道から外れる区間あり)。
《中山道の西進を開始》
14:03、舗装路からはすぐに離脱。右へ分岐する未舗装路(中山道)に入り、西進を開始。
基本的に「凄い眺望」はない。昔の人の気分になって中山道の歩行を体験するための区間であると思う。
14:07、「槙ヶ根立場の茶屋」などの説明板。
《立場(たてば)》
宿場ではない所にある休憩所等のこと。
14:09、「下街道」の説明板。
《一里=約3.927km》
一里は約4km
14:16、「中山道」の説明板。
14:24、首なし地蔵。
石畳(乱れ坂)を下った。
坂の名前は大名行列の隊列が乱れるほどの急登から。
14:31、橋(乱れ橋)で「四ツ谷川」を渡った。
舗装された車道を進行。
まもなく集落に入った。
《四ツ谷》
14:44、「四ツ谷集会所」前の縁側にて大休憩。
中山道ハイカー向けの「ノート」あり。トイレあり。「中山道四ツ谷大組」が管理している。ありがたい。
15:15、竹折高札場跡。
岩村から繋がる大名街道はこの界隈で中山道に合流した模様。
《紅坂一里塚》
15:33、紅坂一里塚に到達。
中山道の両側にマウンドあり。マウンド頂きには崩れ防止の木(榎の木らしい)が植えられている。
《紅坂のぼたん岩》
15:40、「紅坂の牡丹岩」に到達。
下り坂の途中にある「牡丹の花に見える岩」である。
花崗岩の「タマネギはく離(オニオンクラック)」の標本として貴重な岩だそうだ。
15:48、右に川(藤川)が並走開始。
藤大橋(藤川)を渡り、国道418号線に出た。
「藤村高札場」を観光。
岐阜県恵那市武並町藤(たけなみちょうふじ)。
藤村高札場から2.0km先の武並駅を目指して下山開始。次回のTSH歩行ではここまで戻ってこないといけない。
武並駅前の「食飲室 たけとんぼ」さんで夕食をいただいた。
武並から中央線で多治見に行き投宿。翌日、鵜沼、名古屋を見物したのち、帰途についた。